2009年3月18日水曜日

さて、大山崎

山口晃の画集『さて、大山崎』が届きました。

細かくて、見ていて楽しくなる「大山崎交通乃圖」から、指揮官専用ザクのアンテナみたいなものがついている兜を被っている「惟任日向守」までいつものように楽しませていただきました。

こういう遊び心のある絵は見ていて楽しいですね。


2009年3月15日日曜日

いきなり団子

ミッドタウン東京で熊本フェアをやっていて、いきなり団子を購入。
ケロロ軍曹を見ながら食べました。
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ベーシック・インカム入門

山森亮著 『ベーシック・インカム入門』を読む。

ベーシック・インカムとは日本語だと「最低限所得保障」といって、生けていける分の最低限のお金を全国民(お金持ちでも貧乏人でも)に渡しましょうという制度。何もしなくても食べていける分のお金は入ってくるため、働かなくても生きていけるのです。
生活保障に比べて、全国民に渡すのでいちいち受給の資格があるか審査するコストがかからず漏給、濫給といった問題はない制度です。全国民が受け取るので、生活保護のような受け取っていることが恥ずかしいということもないのです。また、働いた得た所得はベーシック・インカムに上乗せされるので、現在の生活保護のように働いている人のほうが働いている人より多くの所得があるという状態にもなりません。

そんな、社会的にはよいことづくめっぽい制度、これからの世の中の賃労働以外の多様化された労働(というより価値提供)のが広がる世の中(トフラーの『富の未来』にあるとおり、消費者はいまや生産消費者として多くの賃労働外の価値提供を行っていますね)には「あり」な制度なのかなとも感じられます。ウェブ上でただ働きで面白いコンテンツを作ったり、ブログとか口コミサイトで有用な情報を書いたりと価値提供している人が、将来を憂えずに同じように価値提供を続けるためにはこういった制度も必要でしょう。「ウィキノミクス」な世界には、ベーシック・インカムはマッチすると思います。

でも気になる点が何点か。

誰のお金でベーシック・インカムを払うの?
本書の中では財源の問題でできないというのはまやかしみたいなことが書いてありましたが、何もないところからみんなに渡すお金は生まれないでしょう(無理やり生むことはできますが、よいことはないと思います)。例えば地代からベーシック・インカムの財源を見たいな事が書いてありましたが、そうするならまずすべての土地を国有化する必要がございますね。住宅ローン減税の撤廃がまずできることだとあるので、究極的にはそうなのでしょうね。土地は所有せずにみんなで公営住宅に住みましょうと。

本当に労働へのインセンティブは保たれるの?
きつい労働など誰もやりたがらない労働はその分高給となるはずだとのことですが、農業が誰もやりたがらない仕事になったらそのようになったら?農業・漁業が誰もやりたがらないきつい職業でその分の高給の取れる仕事になったら、その分農作物の価格は上昇し、そうしたら生きていくためのベーシック・インカムも上昇し・・・ということになるのでしょうか。ベーシック・インカムって生きていくための必需品あまりが前提にあって、食べ物とか不足しないから考えることを放棄した上で必需品以上の経済活動のお金の動きで全国民食べていこうというよな感じを受けます。機械的に誰も労働しなくても農作物ができる、という世界なら安定的に生きていくための食料が供給できるのでよいのでしょうが。

最後に何もしなくても誰でも生きていける世界というのは将来を保障する所得というものが、人間価値の格差を生み出す重要な根源でなくなるのですよね。そうするとまた別の部分の魅力、つまりモテたりモテなかったりが人間としての格差の元になるのかなとちょっと感じました。

おしまい。

2009年3月14日土曜日

グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか??

アンドリュー・キーン著 『グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか?

タイトル長っ・・・

内容はありきたりなインターネット批判、web2.0批判。

アマチュア礼賛カルト(the cult of the amature)がいままでプロ(学者、ジャーナリスト、音楽家、映画監督など)の領分を侵して、われわれが受け取る情報が信頼性・正確性を損なっているということを延々と述べている。
でもそういう領域のプロって、医者みたいに資格があるわけでもないではないですか。プロとして呼ばれるからプロなのであって、ここからがアマチュア、ここからがプロだという切り分けがしにくい。つまりアマチュアが才能があり努力すればプロとして認められ、プロも努力しないとアマチュアに転落する。web2.0的なシステムはそうした努力、才能に時代に即して報いていける点でおおむね善であるのではないでしょうか。

とはいえweb2.0的なシステムにも問題があって、一点は創造のコストを誰が負担するのか、もう一点が膨大な情報の海に埋もれて本当に必要な情報が得られなくなるという点。
誰かがプロになるためのコストを負担しなければいけないというのも確かであって、そのコストをどうやって社会が負担していく仕組みを作るかは重要な課題となるのでしょう。
膨大な情報から必要な情報を得るという点は、googleなど検索エンジンやエージェントの技術革新でどうにかなるのかもしれないですが、行き過ぎれば行き過ぎたで好む情報しか手に入らなくなりサンスティーンの言うとおり民主主義への脅威となるのでしょうが。

インターネット批判の部分はまあ当たり前の話で行き過ぎた自由、無条件の自由はインターネット上でも害悪であるというだけのこと。無条件の自由が問題なのは金融の分野で今の株価を見れば身にしみますね。

まあとりあえず、新聞業界が不況である原因をcraigslistにもとめるのはちょっと違うんではないかと思った本でした。

おしまい。

2009年3月11日水曜日

非モテ!

三浦展の新書『非モテ!』を読む。

男性受難とか云々かんぬんはよりも、選択の自由が広がることの問題とか、リスクをとらない無難な選択しかとならない人ばかりになる問題とか主題的には大事ではないかなと思いましたね。

呼んでいて思ったのは人間関係に関してどれだけ情報過多になっていることか。男女関係に限っていえば、女性がどんな男性のあれだこれだと理想を並べ立てても(限りないビット)、理想を満たすよい男の精子(制限のあるアトム)には限りがあるわけですから。女がそんな感じなら男も情報の集合体であるキャラに萌えているわけですしね。
そういう女性は不可能なリアルを求めていて、求めているリアルが実はバーチャルだというのに気づかないのはどうかと思いますが。どうせならヲタみたいに求めるすべてがバーチャルならよいのに。そのギャップがKや神隠し事件の外道みたいなものをうむのではないでしょうか。
そんなんで私は腐の存在は許せるけど、無駄に理想が高いだけの女性は社会的にどうかと思います。
んまぁ、そんなことをだらだらと。

趣味の悪いウェブアプリを思いついたけど、それはまたの機会に。

2009年3月5日木曜日

定額給付金について

そのうち家にも定額給付金が来るそうです。
定額給付金の支給のために経費は825億円かかるそうです。おもに事務作業のための人件費や、銀行の振り込み手数料がかかるということ。
雇用対策や銀行への支援が含まれているだなんて一石三鳥の素敵な政策なのですね(笑)。

私はiPodのデッキが欲しいので、値段もちょうどよいし給付金で買おうかと思います。

ブログ名について

「立ち耳ですが何か?」は、うちの三毛のスコテュッシュフォールドもずくちゃん(仮名)のことです。
立ち耳ですが立派なスコです。どうみてもただのMixなミケ猫ですが血統書つきです。

そういう見た目だけではわからないんだよ的なブログです。うそです。